夫婦deブログ

〜仕事やめたいヨメと解放されたいダンナの日常〜

サトラーとしての「誰がかまうもんか」の実践方法

どーも、ダンナです。

 

昨日はヨメがアイフォンケースを作って見せびらかしていたので「ふーん」というリアクションをとってやりました。

自分もものを作るのは好きな方で、ヨメがお絵かきをしている中、おもむろに筆をとり「俺の方が上やな。」と心の中で呟いております。因みに最近こんな絵を書きました。

 

f:id:fufudeblog:20140820221217p:plain

題名:影の人

 

こんな感じで日々を過ごしておりますが、話変わってお仕事の話です。

ちょくちょく話していますが、我々二人はとにかく会社勤めが苦手なようで、日々悶々とサラリーマンを続けている次第です。

少なからず日々の仕事の中で何かしらのストレスを与えられ続けているのですが、自分的に結構嫌なのが、初めての業務にあたる事です。

ミスをしないよう慎重に臨んではいますが、やはりどうしてもミスがでますよね。その際に相手方はコチラの立場などお構いなしで悪意をぶつけてくる。それを見た上司も追い打ちをかける。しゃーこら!!と心では思っておりますが、まあ言えないですよね。笑

 

そういった状況の中でサトラー(注:悟りを開いた人)の心構えを書いてみたいと思います。因みに私的なスピ系のおススメ本は「誰がかまうもんか?! ―ラメッシ・バルセカールのユニークな教え―」です。

f:id:fufudeblog:20140820221201j:plain

①仕事をしているのは「自分」ではない。

おいおいお前頭おかしいんじゃねえのか?という突っ込みが聞こえてきそうですが、まあ確かにそうかもしれません。笑

「自分」が仕事をしているのは単なる見せかけのようなもので、勝手に「自分」が「今、私は仕事をしている。」と認識しているだけです。いきなりそんなこと言われても・・・という感じでしょうが、そうなんです。信じてください。笑 

自分で行っていると思う行為は全て反応です。例えば私が仕事に行くのは、経済的事情、仕事の形態、体調、気象条件、道徳観、遺伝子など様々な仮定や条件が積み重なった上での反応に過ぎないのです。

②仕事をしているのは「自分」ではないので、責任感とか感じない。

コイツやべえよ!!という感じですが、本気でそう思っています。笑 ただ私が適当に仕事をしているかといえばそうではありません。

①でも話しましたが、色々な条件の元の反応ですので、現段階での私の仕事に対する出力は人並みぐらいではないかな?と感じています。本当にただただ「自分」に身を任せているような感覚です。もちろんミスした時は「それは私ではない。」などほざかず「申し訳ありませんでした。」と謝ります。笑

③要はなすがまま、なされるがまま。

どらえもんの道具に「べんきょうねまき」というものがありますが、これに似ているような気がします。wikiから拝借すると『全身に数字のような模様の入ったパジャマ。これを着て寝ると、寝ている間にひとりでに体が動き、宿題などの勉強を済ますことができる。』というものです。

これは宿題に限っていますが、仕事でもプライベートでも、もっと大きくいえば人生を勝手に自分が過ごしているようなものです。「べんきょうねまき」ならぬ「じんせいねまき」状態です。

宿命論のようなもの?

宿命論を受け入れて過ごしている方と似ている気がしますが、決して私は人生を諦めている訳ではありません。宝くじ当てようと思っていますし、子供もつくりたいし、夢なんかも一応持っています。今後職場で嫌な人なんかと一緒になったら、どーかこーかとあがくことになるかと思いますが、それらすべて、私は自分に任せよう!という心積もりです。

 

本日はちょっと分かりにくかったような気がしますがどうでしょうか。

因みに自分では上記の絵はなかなかの芸術性をはらんでいると思っています。